「昭和妻」つづき

AERA」読んだよ〜、という友人に。
「最近の若い女の子って打算的で、いやあねえ」
というような感想を言われまして。
まあ、そういう反応ってあるだろうなあ、とは思ったのですが(笑)。
私は、そこの部分に関しては、ニッポン女子のおかれた現状を鑑みればある意味しかたないかなあ、と思っているのと。
もっと言えば、若い女性が保守化している背景のほうが気になっているので。
そのへん、つらつら覚書しておこうと思います。


今、若い女の子はきわめて現実主義だと思います。
女子界のすう勢を概観すると。
70年代までは、主婦連の運動やら、第2次フェミニズムやらの影響下、「正しさ」を追求することが幸福になる方途だ、という雰囲気があったわけですが。
80年代の消費社会化の進展で、それが「望ましさ」に取って代わられました。
「正しさ」のために闘うなんてヤボなことよりも、自分の好きなもの、キモチイイもの、自己実現(って手垢のついた言葉ですが)できることを追求しよう、という。
ついでに、結婚に70年代以降、恋愛結婚がお見合い結婚を凌駕し、80年代にはより女性の意思表示が恋愛や結婚関連行動に大きく影響するようになっていきました。
さらに、バブル景気+雇用機会均等法でもって、女性の時代だともちあげられ、女子界は天下をとったかのいきおいだったわけですが。
バブルが崩壊して、あっさり終演。
いちばん割をくったのは、就職氷河期でも男性よりまずは女性で。
そんでもって、私はその就職氷河期第一期生のトロっちい女子学生で(涙)。
まあ、そのあたりの個人史を自虐気味に書いているのが、「黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望」なんですが。

黒山もこもこ、抜けたら荒野  デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)

黒山もこもこ、抜けたら荒野 デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)

考えてみれば。
男女雇用機会均等法が施行された1986年、サラリーマンの妻の年金保険料を免除する第3号被保険者もまた導入されたわけですし。
また、均等法が改正され、男女共同参画社会基本法が施行された1999年、派遣法も改正されて、一般職OLが派遣社員にすげかえられていく方向性が決定づけられたわけですが。
このように、「理念としての平等」(=タテマエ)と、「経済的な不平等」(=実質)という矛盾が、何食わぬ顔で、つねに涼しい顔並べられているのが、日本社会で。
そんな中、張り切ってお仕事して、未婚のまま三十路を越えると「負け犬」とよばれますし。
酒井順子さんのあの本は、当事者本としての自虐ネタだったのですが、「時代に誤読された」感じがありますね。
結果、ネタではなく、下の世代には「恐怖」を与えてしまいました。


若い世代の女性は、
「キレイごと言ってても、幸福になれない」
という気持ちを、強固に植えつけられているんですね。
もう、観も蓋もない現実主義になっちゃってるところがあります。
無理もない、かもしれません。
現実に、男性にくらべて女性の平均賃金は低く、昇進の可能性は低く、妊娠・出産で7割が離職しますし。
出産によって離職した場合の機会費用(仕事を辞めなければ得られていたはずの所得)は、1人当たり約9500万円と試算される、とのことで。出生率が回復しているフランスは、約170万円だそうですね*1
ちょっと前の数字なんで、これもいろいろと検討の余地はあると思うのですが、目安にはなります。
そんなこんなで、今、日本の女性被雇用者は、過半数が非正規雇用です。
これに対し、「女性はパートで満足している」という論調もあるんですが、はたしてどうでしょうか。
現状の正規雇用者の、とりわけ働き盛りの男性層のすさまじい長時間労働並みに働きつつ、子どもを育てるのは無茶です。
子どもが小さいうちは、予防接種から健診から何から、やっぱりまだまだ、主婦が家にいることを前提にシステムができあがっていますから。
正規雇用・非正規雇用の圧倒的な待遇格差もひどいですが、正規雇用者の雇用環境もまた苛酷ですよね。
進むも退くも難しい、という状況で消去法的に……という人も多いと思いますし。


ほかにも、対GDP比で国際比較してみると、教育費の家計支出割合が、図抜けて多かったり。
児童手当がけちくさかったり(もらえる年齢は低いですし、第一所得制限があるのは日本くらいです)。
要するに、子どもにお金がかかるんですね。
産むときは、妊婦健診は10割自己負担ですし(無料化しようとしているようですが、各自治体によって自己負担額にばらつきが出て、完全実施されていないようです。もー、私は完全自己負担組で産みましたが)。
実際にかかるし、失うお金(機会費用)も大きい、と。
「日本型福祉社会」というのは、家族になんとかしてもらえ、というのが前提ですが。
現実的に平均世帯員数は減ってますし、助け手も少ない。
でも、日本の家族形態は、保守的です。
日本は、婚外子出生率(シングルマザーから産まれてくる子どもの率)が低く、2%くらい。
北欧やフランスは半数以上婚外子出生です。
それを諸手をあげて承認すると、「家族が壊れる」という論調もあるんですが。
ともあれ、いまだ、「結婚=出産」で、かつ女性が就労と出産・育児が両立できない。
だから、夫の収入がとても気になるわけですが。
お相手の若年男性は、日本型雇用慣行の崩壊の波にもまれ、またグローバル化の最中、相対的賃金低下はいなめません。


そんな苛酷な状況では、打算的になるなというほうが、難しいのではないでしょうか?
また、がんばって働いて税金を納めて、子どもを2人以上産めと言うのが奨励されていますが。
私は、「ワークライフバランス」というのは、まだまだ正規雇用の女性が1人目を産むあたりまでしか、視野に入っていないように思います。
現実的には、妊娠・出産を機に辞めざるを得ないか、企業福祉になにもあずかれない非正規雇用の女性のほうが多いわけですし。
また、晩産化していますから、近年、2人目、3人目を産む「間隔」が狭まってきています。
昔は、上の子が幼稚園に入ってからね、なんて言っていましたが、今は産みたい人は、急いで次々産む。
ということは。
まだオムツも取れていないような上の子の面倒をみながら、非正規雇用の女性が、検診を受けたり入院したりしなければならない、ということなんですね。
あるいは、不妊治療の成果もあって、双子ちゃんなんかも増えました。これも、仕事との両立を考えると、大変です。
このような現状を視野に入れないと、ワークライフバランスは絵に描いた餅だと思うんです。


私は、子育て支援NPOに入っていて、まあこれは、近所にママ友が欲しくてはじめたのですが(笑)。
やっているうちに、いろいろ興味深いことに気がついたので、調査してみました。
まず、「地方出身者ばっかりだな〜」と思って調べたら、そこの会員さんに関しては、近隣に実家がない、という人ばかりでした。
最近は、外国人の方も増えています。
今、日本の母親は誰にいちばん日常的に子どもの世話をお願いするかというと、「自分の親」と答えた人が7割です。


まあ考えたら、地元にもとからのネットワークがない人が、こういうNPOに入るんですが。
私も、母親を亡くしておりまして、やっぱり日常的に、頻繁に頼める人はいません。
それで、地域のNPOに入ったところはありますね。
子どもの面倒は夫と交代でみる、が基本になります。
このあたりは、日経新聞のエッセイに書きました。
「日曜日の随想2008」に、所収されてます。
あと、調査で浮き彫りになったのは、パート主婦に背負わされた矛盾です。
公立保育所は、フルタイム正規雇用の母親の子どもを優先的に入れるのですが。
「どうして、賃金が低いパート主婦の子どもが料金の高い認証保育所を利用せざるを得ないのか。企業福祉の恩恵にもあずかれる正社員の母親は、安い公立保育所を優先的に利用できるのに、おかしいじゃないか」
という不満は、よく耳にしました。
それでも、認証保育所でも入所できれば、みんなで拍手、なんですね。


この国、おかしいよ、とこれは研究者としてだけではなく、一母親としても思います。
少子化なのに、子どもを産むハードルが高すぎるよ、と。
だから、家族の支援が受けられやすい人から産んでいくのですが。
うちは、自分の母親は亡くなっていますし。
婚家のほうは、ちょうど子どもを産むときに家業が傾いて倒産騒ぎで大変でして。
こっちのほうが、支援してあげなくちゃならない状況でした。
うちは、非常勤講師夫婦なもので。
ぜったいに仕事を失うわけにはゆかず。
そんなこんなで妊娠8ヶ月まで講義して、出産前日まで原稿を書いて、当座の2本を仕上げた瞬間に、陣痛がきて、やばい、と思って、そのとき書いていた「黒山もこもこ〜」をプリントアウトして、出産準備鞄に詰めて、産んで、後陣痛が引いた4日目には、校正がけしていました。
看護師さんに怒られましたが(起きてちゃダメですよ、と)。
なので、私の産休は、「実質三日」です。
講義には、産後1ヶ月半で復帰しました。
はっきり言って、出産後半年辺りまでの記憶がありません。デタラメな生活すぎて……。
日記を読みながら、思い出している感じです。
こんな育児生活はイヤだから、若い女性は結婚に二の足を踏むのかもしれません。
まあ私も、他の方にはお勧めできません(笑)。
なにせ、一番流産の危険度が高かった時期に、朝9時から夜9時まで立ちっぱなしで講義したり、してましたし。
今も、子どもが寝た隙に書いたり読んだり、しまいにゃ、足であやしながらものを書いたりしてます。


そのあたりのデタラメ壮絶な育児をつづっていたのが、「読売ウィークリー」に連載していた「無宿渡世母がゆく」だったんですね。
休刊になるとき、担当者さんが、大変にこのエッセイが終わるのを残念がって、ずいぶんあっちこっちにつづきを書かせてくれないか、かけあってくださったのですが(ちなみに、息子にニックネームをつけようと発案してくださったのは、この方です)。
やはりまあ、難しく。
私も、難しいだろうなあ、と思っていたので、がっかりするというよりは、ただただそのお気遣いはありがたく。
私のように、どこにも所属していない人間というのは、一緒にお仕事をする編集者さんというのは、仕事が終わるまではチームみたいなものだと思っているんですね。
まあ、いっときの人もいれば、じわじわ続く人もいるんですが。
同じ組織に属しているわけではないので、仕事が終わったら世話を見る義理はないのですが、そこまでしていただいて、ありがたいなあ、と。
ただまあ、子育てエッセイのライブ感+誌面の緊張感を両立できる書きものが、書けなくなっちゃったのは、残念でした。
やっぱり、ブログにだらだらつづるのとは、違うので。
今、子どもがどんどん言葉を覚えて、動作を覚えて、人とのかかわりが増えて。
個人的に「育児日記」には、つけているのですが(私は日記マニアで、非公開のものも含めて5本日記を書いているので)。
作品のかたちで、これを書けないのは本当に残念だなあ、と。
そんなあさましいもの書き根性がでてしまったり、するのですが。


と、息子が呼んでいるので、これにて〜!

*1:西村智、2003「子育て費用と出生行動に関する分析」『日本経済研究』48(3):42−54